ソフトボールチーム Century (センチュリー) の公式サイト

ソフトボールの歴史

日本における最初のソフトボールは、大正10年(1921年)アメリカ留学から帰国した東京高等師範学校教授 大谷武一によって、 学校体操科の遊戯として紹介されたことにはじまる。 当時は"インドア・ベースボール"とか"プレイグラウンドボール"と呼ばれていた。
Wikipedia より抜粋


日本にソフトボールが伝わったのは、「1921(大正10)年に、シカゴ大学に留学していた大谷武一教授(東京高等師範学校)が、 プレイグラウンドボールとインドアベースボールを持ち帰った」とする説が一般的です。また、「1874(明治7)年に工学寮(現東京大学工学部)において、 現行ソフトボールに類似したベース・ボールがプレイされた」とする見解もあります。それ以外でも、明治時代や大正・昭和の時代に、現行のソフトボールは、 ベース・ボール、プレイグラウンドボール、インドアベースボール、キッツンベースボール、レクリエーションボール等といった名称で、 日本の各地に上陸していた事実も多くの文献から理解することができます。

1941(昭和16)年から1945(昭和20)年の第2次世界大戦中、一切のスポーツや娯楽は禁止され、プレイグラウンドボールもその例外ではありませんでした。 1946(昭和21)年8月、大阪府保険構成課長・岩の次郎氏は、戦後の大阪府民の心の痛手を癒すべく、プレイグラウンドボールの講習会を開催し、 その年の11月、名称も「ソフト・ベースボール」として、日本最初の大会を開催しました。一方、戦後、進駐米軍が本場のソフトボールをあちこちでプレイしていたのをきっかけにそれが次第に広がり、 それまでプレイグラウンドボール、ソフト・ベースボール、あるいはキッツンボール等と呼んでいたボールを「ソフトボール」と呼称するようになっていきました。 1946(昭和21)年、全日本硬式野球連盟が創立され、その中にソフトボールが一部会として包含されていたが、1949(昭和24)年、日本ソフトボール協会は、 全日本硬式野球連盟より独立し、その総会で、「ソフトボールの普及振興を計ると共に、国民の健康を増進し、生活の慰安として楽しいスポーツの実践を涵養する」ことを目的としすべての規約を可決して発足され、 1950(昭和25)年12月に正式に日本体育協会への加入が承認されました。  翌1951(昭和26)年、日本ソフトボール協会は、アメリカ・アマチュア・ソフトボール協会に加盟し、以後、日本ソフトボール協会は、   日本国内での普及活動はいうまでもなく、世界への仲間入りを果たし大きく成長して行きます。
Softball より抜粋